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「聖剣伝説 Legend of Mana - The Teardrop Crystal -」を観終わっての感想

聖剣伝説 Legend of Mana」は1999年に発売されたゲームソフトです。美しい世界、様々な種族の個性的なキャラクター、シナリオ進行とアイテム作成の自由さ、哲学的で心に残る多くのセリフ、そして素晴らしい音楽が魅力です。

その作品が、なんとこの2022年にアニメ化されました。びっくりです。

https://mana-lom-tc.com/

アニメを最終話まで観終わった今、感想として色々書きたいことがあったので記事を書きました。

記事を書くにあたって、原作のストーリーはこちらのイベント解説を参考にさせていただきました。めちゃめちゃ詳しいのでオススメです。

宝石泥棒編(聖剣伝説LOM) - アニヲタWiki(仮) - atwiki(アットウィキ)

この記事の前提とスタンス

この記事は冒頭の内容も含め私の主観的な感想であり、全ての評価は絶対的な良い・悪いではなく好き・嫌いという類のものです。

私の放送前からの期待は、原作に忠実であればあるほど良い、ただしアニメ独自要素も「こういうこともありそう」というものであれば歓迎という考えです。これは観終わった今も変わっていません。

原作は主人公にほとんどのセリフがなく「主人公=プレイヤーの分身」として進んでいきます。これはアニメ作品においては無理があるため、主人公がシャイロという1つの人格を持ち、原作に描かれていないセリフを喋ることは良いと思っています。

「主人公=プレイヤーの分身」ということは、自分のプレイ体験だけでなく、シャイロも含めて主人公の数だけ物語があるということ。アニメ作品としてだけでなく、1人のプレイヤーのゲームプレイとして追体験ができるような物語を望んでいました。

好きな点

○多くのサブキャラクターやアイテム等を魅力的に描いている

宝石泥棒編のストーリーには大量のアニメ独自の改変があります。一方でストーリーの根幹に大きく関わらないサブキャラクターやアイテム等は、非常に多くのものを原作にほぼ忠実かつ魅力的に描いてくれました。

キャラクターはバドとコロナを筆頭に、ヌヴェルやレイチェルなどのドミナ住人、フラメシュとエレ、カシンジャとヌヌザックなどなど。そしてイカレモン等のアイテムやアーティファクトの使用シーンも原作通りに描いてくれました。

良い意味で原作と印象が違ったのはドゥエルとポキール。ドゥエルは原作で戦うシーンはありませんでしたが、戦闘指南をしてくれるだけあって強いんだなと。ポキールはクールでキザなイメージでしたが、選択肢でアナグマ語を選ぶと流暢なアナグマ語を返してくれる等お茶目な点もあります。アニメではお調子者な性格が強調されていました。

○原作ゲームを設定資料で補完し、珠魅たちの過去を描いている

珠魅たちの過去は原作のゲーム内で語られる内容だけではなく、攻略本かつ設定資料集「アルティマニア」に多くのことが書かれています。ここを拾ってくれたのはとても嬉しいです。

サフォーとザル魚君の関係、エメロードの姉たちなど、序盤のイベントでは原作にない回想を補完してくれました。そして物語の核心に迫る11話では、原作にもある回想を踏襲しながらも映像と設定資料で補強してくれました。

煌めきの都市での珠魅たちの暮らしが描かれた11話は、このアニメの中でも特に好きな回です。ここは原作では、煌めきの都市を進みながら過去の珠魅たちの幻影が断片的に見える場面です。アニメではサフォーも登場し、より鮮明に煌めきの都市での出来事が描かれました。

○瑠璃やサンドラのキャラクターとしての魅力

このアニメで一番好きなキャラが瑠璃です。行動理念がはっきりしていて、真珠姫はもちろんシャイロのことも気遣うようになっていく瑠璃には好感が持てました。

敵対するサンドラ(アレクサンドル)も、行動理念がはっきりしていて好きなキャラです。蛍姫を想う気持ちと珠魅の核を奪う動機が示されただけでなく、原作で説明されなかったサンドラと宝石王の出会いも描写されたのは嬉しいですね。

○シャイロの珠魅に対する想いの強さ

シャイロはセリフや感情表現があることを加味しても、原作と比べて珠魅に対する想いが序盤から強いと感じます。

私の原作プレイ時は、ルーベンス殺害やサフォーの核が奪われた時の主人公は傍観者であり、エメロードに騎士として頼られながらも守れなかったことがきっかけで珠魅に対する想いが強くなった、という印象でした。そのためエメロードというキャラクターには特に愛着がありました。

アニメのシャイロは2話の時点で珠魅のことを知り瑠璃たちと親しくなったため、ルーベンス殺害の時点で怒りをあらわにしています。序盤でこれならエメロードの時はどうなってしまうのかと思っていたので、6話の独自展開は驚きだったと同時に嬉しかったです。

○原作になかった大人数での冒険を描いている

原作のパーティは最大でも主人公1人+NPC1人+ペットかゴーレム1体という構成で、NPCを何人も連れることはできませんでした。

その点アニメでは、非常に短い間でしたがシャイロ、セラフィナ、瑠璃、真珠姫、エメロードの5人で冒険をしている様子が描かれ非常に感動しました。これで「ティアストーン」直前まで冒険してほしかった。

好きでない点

※以降の文章中で「制作者」という言葉を使っていますが、今回のストーリー改変が誰の意向なのか、制作の内情が分からないため曖昧な表現としました。監督・シリーズ構成・脚本が全て同じ人なのでその人の可能性が高いですが、どこかの会社の偉い人の意向などの可能性もあるので。ストーリー改変に関わっていないアニメーターさんやスタッフさんを批判する意図は一切ありません。制作ありがとうございました。

×セラフィナというキャラの扱いと制作者の溺愛

ゲームの女主人公と同じ姿をしたセラフィナ。なぜ彼女を女主人公の姿で登場させてしまったのでしょうか。

セラフィナはガトでシャイロに好意的に近付き、ジオではエメロードとも交友関係を築きますが、エメロードを殺害しシャイロを複数回裏切ることになります。このアニメ独自の改変に対しては、

  • シャイロと瑠璃たちとの分断を生み、必要性のない対立を生み出している
  • 凶行に及んだセラフィナを安易に信じてしまうシャイロの、優しさというよりは馬鹿さ、無能さを演出してしまう
  • 女主人公でゲームプレイしていた人にとっては、自分の分身だった姿のキャラに対して強いヘイトが及んでしまう
  • セラフィナの状況が最終話まで全く説明されず、裏切るシーンがあまりにも無表情なため、共感もワクワク感もなく不可解さしか感じられない

と、一切のポジティブな感情を持つことができませんでした。

女主人公を協力役として出すなら何の問題もなかったと思います。また敵対役にするとしても、例えば

  • セラフィナがサンドラと同様に敵対役に徹し、シャイロが彼女を安易に信じることがない
  • またはシャイロとセラフィナに強い繋がり(幼馴染や姉弟など)があるという設定で、セラフィナを敵視できない十分な理由がある

などの展開で、シャイロとセラフィナの行動理念が明確に示され、かつ2人の関係にしっかりとしたストーリーがあればまだ納得できたのですが。主人公2人の時点で独自改変なので、2人の関係はどのようにでも設定できるはずです。

原作では宝石泥棒編だけでなく3つのメインシナリオ全てで、繋がりを持つNPC同士の戦闘(瑠璃とレディパール、エスカデとダナエ、ラルクとシエラ)があります。特にセラフィナはドラゴンキラー編のラルクのような立ち位置にしたかったのではという考察も見かけました。ですが彼らに比べてシャイロとセラフィナは関係が浅すぎます。

シャイロがあっさりとセラフィナを信じる展開、そして凶行の前後にセラフィナが苦悩するシーンを言い訳のように描くことからは、凶行に及んだセラフィナを擁護し報いを与えたくないという制作者の意思を感じます。「ひどいことしてるし理由は教えないけどセラフィナも悩んでるんだから嫌わないであげてね」と。私は制作者からそのように扱われているキャラクターを一層好きになれません。

そして悪い予感は的中し、最終話ではセラフィナが更なる凶行に及んだにもかかわらず、石化したことで本当にあっさりと許されました。原作での主人公の石化は、珠魅たちの手助けをする過程でその過酷な運命に感情移入してしまった主人公(=プレイヤー)が涙するからこそ意味があるものだと思っています。無表情で珠魅を殺害し続けた、サンドラ以外の珠魅に対する感情を全く感じられないセラフィナが、成り行きで最後だけシャイロと同等に扱われるのはあまりに都合が良すぎます。

×結果的にエメロードの殺害が軽視されてしまっている

前述した通り、原作のサンドラによるエメロードの殺害は、宝石泥棒編の中で重要なターニングポイントだと思っています。

アニメ7話のセラフィナによるエメロード殺害には、より強いショッキングさを与えようという意図があったのかもしれません。しかし「セラフィナの真意は?」「真珠姫の安否は?」と話の流れが混沌としてしまい、エメロードの殺害は逆に軽視されていると感じました。これは後のディアナ殺害も同様です。

×珠魅たちと主人公の物語が、シャイロとセラフィナの物語に歪められている

原作では「アレクサンドル」でのディアナ殺害後に、瑠璃から主人公への「アンタも考えてくれ。オレ達と関わりを断つなら、今がいい……アンタを巻き込みすぎた…」というセリフがあります。これは多くの珠魅が殺され珠魅の問題が大きくなったことを示すと同時に、「珠魅のために涙する者、全て石と化す」ため主人公の身を案じるものと解釈しています。すなわち「ティアストーン」の結末に繋がる重要なセリフです。

アニメ10話でも同様の発言がありますが、完全にセラフィナの再度の裏切りがきっかけになっています。瑠璃はセラフィナに裏切られたシャイロの気持ちも案じていますが、ディアナが殺害された場面でシャイロとセラフィナの関係への言及は本当に余計です。

原作で珠魅たちと主人公の関係を示すセリフや場面が、セラフィナの介入によってシャイロとセラフィナの関係を言及するものに歪められてしまう。これが7話のエメロード殺害、10話の瑠璃のセリフ、そして後の12話では更にあからさまに行われます。

セラフィナの不可解な行動、シャイロの安易な行動、瑠璃たちとシャイロの分断。これらはエメロード殺害以降ずっと、「ティアストーン」の結末へと向かう珠魅たちの物語に不純物として混ざり、ストーリーの焦点がぶれ続けていると感じます。

その中で救いだったのは、珠魅たちの重要な過去が語られる11話でセラフィナが登場しなかったことでしょう。

×シャイロが弱い

無敗の主人公でなくてもいいのですが、いきなりドゥ・インクに負けるのは期待外れでした。ボス戦があるはずの「ニキータ商い道中」や「小さな魔法使い」で特に苦労した描写もなかったので余計に不自然です。その後も多くの戦闘で敗北または敗北寸前まで追い詰められていました。

この点からも、シャイロの無能さが強められてしまいました。制作者の溺愛するセラフィナが戦闘能力まで高かったことと対照的です。

×真珠姫の見せ場が奪われている

瑠璃が原作以上に主人公(シャイロ)に優しくなったのは、主人公にセリフと感情が付いたことと合わせると良い改変だと思います。

一方で真珠姫は見せ場が奪われました。原作の「コスモ」で瑠璃のために闘う力を望むセリフ、「アレクサンドル」でサンドラを説得するセリフなど強い意志を示すセリフの多くがカットされ、ただの不思議ちゃんになってしまいました。安易に特徴づけし易い点だけを誇張したという印象です。

サブキャラクターであればこのレベルの改変は納得できますが、真珠姫は宝石泥棒編の最重要人物の1人で重みが全然違います。ことごとく重要なセリフをカットした制作者は、真珠姫を「ただのかわいい担当」のサブキャラクターと認識していないでしょうか。

×蛍姫の夢の中の珠魅たちの描写

10話の蛍姫の夢の中で、わざわざ原作にない「醜悪な珠魅たち」を描く必要性を全く感じませんでした。制作者は、彼らに愛着がある原作プレイヤーがこれを観てどう感じると思ったのでしょうか。キャラ崩壊させてまで描きたかったことは何でしょうか。

一応サフォーとマリーナの関係は設定資料通りではあるのですが、他の珠魅が完全なキャラ崩壊である以上、サフォーたちについても「設定資料に都合の良い材料があったから使った」感が否めません。11話の落ち着いたサフォーがアニメの中での正史であるなら尚更です。

悪夢だから辛い内容なのだというのは一理あります。しかし戦いで傷つく珠魅たちを案じていた蛍姫の悪夢としても斜め上の内容で、辛いというよりは不可解さが勝って冷めてしまいました。

シャイロの見せ場作りだとしてもずれていると思います。夢の中の見るからに異常な珠魅たちを正気に戻しても、さすが主人公!とは思えません。原作ではここで夢の中のレディパールを守るジュエルビースト戦があります。戦闘で貢献させれば良かったでしょう。

×最終話の説明不足と私物化

セラフィナの不可解な行動を全く説明しないまま最終話まで来てしまったせいで、最終話は原作「ティアストーン」の宝石王戦をばっさりカットしてもなお尺不足かつ説明不足だったと感じました。そして原作「ティアストーン」の結末こそが、珠魅たちの物語そっちのけでセラフィナとシャイロが介入しストーリーの焦点がぶれてしまった最大の被害者だと思います。

原作で主人公が涙するシーンに立ち会うのは瑠璃またはレディパールです。主人公は珠魅の過酷な運命に涙し、瑠璃またはレディパールもその主人公に心を打たれます。主人公の涙、珠魅たちの涙、そして瑠璃・真珠姫とともに主人公が家に帰るシーン、その全ては主人公と珠魅たちのこれまでの関係があったからこそ感動的なものとなるのです。

本来ここに珠魅殺しのセラフィナが混入できる理由はないはずですが、アニメは12話の主役はセラフィナだと言わんばかりの優遇ぶりです。自ら殺した珠魅たちに復活させてもらって、自分の帰るべき場所でない所に「ただいま」と言って、制作者はおかしいと思わなかったのでしょうか。原作の名シーンにセラフィナを加えてあげる、それ自体が目的になっていないでしょうか。

宝石泥棒編が元々12話分で収まりきらない物語だったという指摘もありますが、私はそうではないと思います(「マナ」までやるのであれば別ですが)。セラフィナを敵役として登場させないのであれば「ティアストーン」前後編と2話使って原作の展開を十二分に描けると思います。セラフィナが敵役だとしても、各話でしっかり説明をしておけば最終話で尺を取ることもなかったでしょう。思わせぶりなだけで何も説明していない9話のセラフィナ苦悩シーン、10話のキャラ崩壊珠魅の説得、その尺の代わりにセラフィナの行動動機をしっかり説明しておけば、こんな中途半端な最終回にはならなかったと思います。

最終話に関してはディレクターズカット版が配信されるとのことですが、作画など映像面のクオリティはともかく脚本が改善されることは私は期待できません。セリフを録り直せるのか?という問題もありますが、根本的な問題は11話以前に遡って手を加えない限り最終話まで放置したものが重すぎることです。

アニメ最終話をセラフィナの物語ではなくちゃんと珠魅の物語にするのであれば、前半でセラフィナの過去を明らかにした上で彼女を討ち、後半で原作「ティアストーン」通りの流れをやれば強引に軌道修正できるでしょう。制作者のセラフィナへの溺愛ぶりを見るに100%あり得ないと分かった上での仮定です。

全体を通しての感想

7話の途中、エメロードたちと冒険しているところまでは本当に楽しかったです。

それ以降は手放しに楽しめるものではなくなり、不満ばかり出るなら観ないほうがいいのでは?とも思いました。しかし原作も最後に珠魅たちと主人公が救われる展開であることと、感想を書き残すなら最後まで観たほうが良かろう、という気持ちもあって最後まで観ることにしました。

全体を通して、LoMの世界そのものとストーリーに絡まないキャラクターは大事に描写してくれたと感じます。原作のゲーム内だけでなく設定資料を反映させて珠魅の過去に焦点を当て、しっかり描写してくれたのも良かったです。

一方で、現在進行形で進んでいく宝石泥棒編の物語、そして女主人公の姿をしたセラフィナについては、ネガティブな方向かつ必要性のない改変が強すぎたと感じます。

原作通りでも多くの珠魅はサンドラに殺害され、最後の「ティアストーン」ではほとんどの珠魅が死に絶えて絶望を味わうことになります。エメロードも原作通りサンドラに殺されるのであればシャイロに強く惜しまれたでしょう。悲劇を描きたいのであれば原作という最良のストーリーがあったわけです。

しかしアニメではセラフィナ(そしてシャイロ)の介入によって珠魅たちの物語としての焦点がぶれ、原作の「ティアストーン」の感動すらも薄れてしまったと感じます。そして引き換えに描かれるシャイロとセラフィナの関係は非常に浅い。改変の必要性とメリットが感じられない。

この理由が単に「アニメの独自性を出したかった」「登場人物たちをギスギスさせて悲劇感を増したかった」「お気に入りのセラフィナを目立たせたかった」のであれば悲しいですし、それはゲーム原作でなくオリジナルストーリーでやれば良いと思います。原作で描かれた珠魅たちの物語を尊重して映像で彩るのではなく、制作者が押し通したいストーリーの材料として珠魅たちを使っていないでしょうか。

このストーリーを書いた制作者は余程セラフィナが好きなのでしょう。溺愛しているから、人を裏切り凶行を重ねても作中の誰にも彼女を否定させないし、原作ラストの名シーンを全部経験させてあげる。殺されたエメロードが置いてけぼりになっても、瑠璃のセリフや主人公の涙の意味が歪められてしまっても、セラフィナを目立たせるほうが大事。何をしても許されて当然だから何も説明する必要はない。私はそう受け取りました。

サンドラ側に付いた世界線の主人公がいても別に良いのです。原作ゲームの世界観と自由度の高さはその可能性を許容してくれるでしょう。しかし私はこのセラフィナというキャラをLoMの主人公だと思っていません。致命的な説明不足と無条件の肯定、原作の大切な珠魅たちのストーリーの破壊、これまでの行動を全てなかったことにしてハッピーエンドに加えさせてあげた強引で結果ありきのラスト。これはもはやファ・ディールという原作ゲームの世界に生きる主人公の1人ではなく、ストーリーに混入してしまった制作者の溺愛するオリキャラが何故か原作の女主人公の格好をしているだけであり、私には受け入れがたいです。

6話で「幸せの四つ葉」の展開が完全に変わった時にはアニメ独自ストーリーにワクワクしていましたが、こうなるのであればセラフィナもいない原作通りのストーリーのほうが良かったと、今では思います。

実際、不可解な改変がなく原作のセリフを映像と設定資料で補強した11話は、本当に素晴らしいと思ったし観ていて楽しかったです。全編この方針で作ってくれれば良かったと思わずにはいられません。

おわりに

今回の記事の内容はほぼストーリーに絞りました。ストーリー以外の点で、揚げ足取りのような「原作と比べて齟齬がある」タイプの気になる点はありますが、それは別に良いのです。再現度が高ければ高いほど嬉しいですが逆はそれほどでもありません。限られた制作リソースをそこに注いで欲しいわけでもないですし、細かい点をあげつらってストーリーの感想がぶれるような記事にもしたくないので。

繰り返しになりますが、LoMの世界とサブキャラクターの描写は本当に最高で感動しました。珠魅たちも原作通りに描いてくれた場面はとても良かったです。その姿を観られただけでも、このアニメを観た価値はあると思います。

ストーリーに関しては「共感できない二次創作」と捉えています。このアニメから産み出されてしまった各種設定の改変やセラフィナの存在が、今後のスクエニ公式のゲーム作品やメディア展開等に流入してしまわないことを願うばかりです。