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「オクトパストラベラー0」物語レビュー。死と裏切りの"安売り"は重厚さを授けるのか?

この記事は「オクトパストラベラー0」の物語だけを対象に、各パートを順に見ていきながら分析的に意見を述べていくというものです。

良い点悪い点それぞれ語っていきますが、文章の半分以上が「物語のワンパターンさと整合性の欠如について指摘する」というものなので、そういう文章が読みたくないよという人は閉じてください。ただ問題点100%ではなく良い点は良いと書きます。

ゲームシステム等も含めた作品全体の感想記事はこちらです。システム面ではちゃんと良かった点も挙げています。繰り返しになりますが8人戦闘システムは本当に良いんですよ…。

「オクトパストラベラー0」感想。着実な発展と変化を遂げたオクトラ流システムと、極度のワンパターンに陥った物語 - Ultimate Rondo

オクトラ「1」「2」「0」のネタバレを含みます。あと「テイルズオブグレイセスf」のネタバレも含みます(何故かは察してください)。

本記事のスクリーンショット掲載は公式ガイドラインに従います。

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なぜこんな記事を?

この記事を書く最大の目的は「オクトラ3の物語の質を上げてもらうこと」です。今作の問題点を持ち込むことなく解消し、「1」「2」の良い点をさらに伸ばして欲しいと思っています。このままでは最悪の場合、主人公8人全員の第1章がワンパターンな虐殺シーン入りなんてことが起こり得ると危惧しています。

であれば当然まず公式に直接声を伝えるべきで、先日開始された公式アンケートにも書きました。しかし500文字ではほとんど何も書けません。

今作のレビューなどを見ていると、「陰鬱だから賛否両論になっている」「主人公が無言の傍観者である点に否定的」「大人向けだから万人受けしない」など、残念ながら解像度の低い "レビューのレビュー" が多く見られます。例えば企業メディアがこのような記事を出しています。

『オクトパストラベラー0』賛否両論は納得も自分は好き。『Fate/Grand Order』10年間やってきてよかった。『inZOI』大型アプデが混沌。今週のゲーミング - AUTOMATON

書き手本人の意見表明にとどまらず、賛否両論というSteamの評価に触れつつ「否定派の意見はこうだろう」と逆意見に対する解像度の低い分析をしているものです。少なくとも私には全く合致しません。

私の意見をまとめると次のようになります。

  • 主人公がバルジェロやアラウネなど各パートの中心人物だったところで今作の問題点は解決しない。物語を見る視点に関係なく、物語で起こること自体がワンパターンさと多くの不整合を抱えているからだ。
  • 物語や世界設定の不整合について、作り手へのインタビューで実態と乖離した自信満々の発言がいくつも見られる。そのためフィードバックが効かず、次回作以降にも同じ問題が持ち込まれてしまう可能性が高くなる。
  • 低評価の理由を矮小化し、「神ゲー」「神ボリューム」などの解像度の低い高評価の声に縋ることで、難しいことを考えなくても死や裏切りなどの刺激物を入れて物語を引き延ばすほど大衆にウケるという作り手のインセンティブが働いてしまう。

前提として、「0」の物語のうち大部分は運営型サービスである「大陸の覇者」の物語をベースとしており、これらは従来作「1」「2」とはプロデューサーや開発会社が異なります。しかし「0」の物語が盲目的に肯定されてしまうと、これでいいんだ、刺激さえあれば売れるんだと「3」に影響してしまう可能性は十分考えられます。

メインライターの方は場面の演出やキャラ個人の描写はとても得意なのだから、ロジカルに考え解像度の高い指摘ができるレビュアーの方を付けて発言権を持たせる(ここが一番大事)のが最適なのではないかと思います。ゼロから感動を作り出せるのも細部を丁寧に整えられるのもそれぞれ別の才能であり、協力すれば素晴らしいものが作られるはずです。しかし「覇者」「0」のインタビューを読み込むほど、プロデューサーとライターの2人は良くも悪くも同系統の思考モデルで意気投合し、やりたいシーンが先行し、ロジカルなストッパーがいないのではないかと思います。

というわけで物語の各パートを順番に見ていきながら、私が考える良い点悪い点を挙げていきたいと思います。

富を極めし者(ヘルミニア)

暴力を見せつけし者その1。

仇敵である3人の指輪持ちは「富」「権力」「名声」を掌握している設定ですが、結局それぞれが支配する集団内で権力を掌握し暴力を振りかざしているだけで、やっていることは同じです。

ヘルミニアは「富を極めし者」というパート名の通り金への執着があり、金に執着する発言やギラギラした服飾だけ見ればキャラ立ちしているとも言えます。しかし3人ともが画一的な暴力性を第1章から見せつけることで、「暴力性や傲慢な態度がキャラの8割で、金持ちや芸術家の個性は2割くらい」という印象になってしまい、ゲーム序盤からの強烈なワンパターンさを生み出しています。

ヘルミニアに対抗するバルジェロファミリーは、下ネタがワンパターンでしつこい点を除けば好きな集団です。後の「富を授けし者」での演出を味わうためにも、ここで主人公との信頼関係ができたのは良かったです。私が今作の主人公目線で仲間意識を感じられたのは、故郷復興組とバルジェロファミリーだけです。

第2章でのソニアの裏切り自体は「貧困に苦しみ続けた人間が金持ちに屈する」というもので、今作の中では筋が通っています。ただ今作は裏切り頻度が高くて登場から裏切りまでがスピーディなので、そもそも愛着が湧かないんですよね。死や裏切りを重く見せたいなら、もっと数を絞って1つ1つの質を上げるべきだと思います。

火を放った財宝の中で息絶える、ヘルミニアの最期の演出は象徴的でした。スポットの演出は従来作同様に上手です。

権力を極めし者(タイタス)

暴力を見せつけし者その2。仇敵3人がワンパターンに権力ムーブしているせいで、権力担当としての個性がなくなってしまった人。

この頃のリンユウのキャラは良かったですね。目が見えないからこそ心の機微を感じられるという神秘さと、死や相手の暴力を恐れずに真っ直ぐな言葉で圧倒する気丈さ。タトゥロックを庇い始めてからライターの操り人形になってしまったので残念です。

第1章で主人公がヴェルノートの仕事を知った後に、リンユウに嘘を付くかどうかの選択肢があります。この頃は物語から提示される選択肢についてまだ真面目に考えていました。しかし即座に否定され私が選んでいない方向に物語が進められたのを見て、「このゲームの物語の選択肢は意味ないんだな」と思うようになりました。結局ゲームクリアまでに大量の無意味な「プレイヤーが判断したことにする」だけの選択肢が登場し、この予測は当たっていました。

すぐにライターの既定路線に戻す

三極のうち終わり方が最も変なパートでもあります。タイタス戦の勝利後にヴェルノートがノコノコ近づいて殺されに行くシーンは間抜けそのもの。「罪の清算として彼が自ら死を選ぶ」という理屈は一応通っているように見えますが、リンユウと再会してなお死を選ぶというには理由が弱く、何より死に方が取ってつけたようで蛇足です。償いを放棄して死んだら被害を受けた大衆に責められそうなのは元恋人ですけどね…?

まるでキャラの死という結果だけが欲しかったかのよう。「命を捨てるつもりで戦った結果、他者を庇うために身を捨てた」あるいは「リンユウの生存を知らぬまま命を捨て、死にゆく中でリンユウが駆けつけ看取った」など、少しでも納得感のある死に方をしていれば印象は大きく変わったでしょう。

名声を極めし者(アーギュスト)

暴力を見せつけし者その3。

まずアーギュストのキャラ立ち自体は素晴らしかったと思います。カリスマと崇められる芸術家という立場、決め台詞や立ち振舞いのインパクト、そしてラストで明かされるトリック。とても光るものがあっただけに、第1章から他の2人と同じ虐殺者になってしまい「お前もか…」となってしまったのが残念です。せめて第2章の終わりくらいまでは、ありきたりな暴力を使わずに描いて欲しかった。

このパートで最も不自然さを感じたのが、第2章のフランセスカの二重人格のような豹変です。今作の物語は作者の都合で人格ごと書き換わったようなムーブをさせられている可哀想なキャラが多いですが、彼女はその典型例だと思います。というか彼女もソニアと同じで、息子への愛情シーンを見せてから豹変させるまでが早すぎるんですよね。

全てを極めし者(パーディス)

暴力を見せつけし者その4。パーディスは暴力性10割の人物で、全てを極めている感はありません。権力は言わずもがな、富は重税や略奪でどうにでもなるでしょうが、名声…?(目を合わせるなとか民に言われてましたが…)

悪役のワンパターンさを一旦脇に置くとしても、パーディス編のストーリーには多くの疑問があります。大きく2つの項目に分けて指摘します。

作者の都合でおバカなムーブをさせられるキャラが多すぎる

とにかく結果ありき、やりたい展開ありきで、キャラの行動に妥当性がないケースが多いです。

  • マフレズは殺される時の態度があまりにも間抜けです。「マフレズとエリカの治世になれば国は良くなる」と民に言われる人物である以上、パーディスのミエミエの誘いの真意を気づかないほどバカではないはずです。敵意を悟り抵抗して殺されるにせよ、誘われた時点で殺されることを覚悟するにせよ、あんな「信じられない」みたいな描写にはならないでしょう。
  • ゴンスカはパーディス有利の状況を作りたいというライターの願望によって都合よくテレポートや変装などの万能チート能力を使います。これを真面目に活用すればプレイヤー側に勝ち目はないはずですが作者の都合で使ったり使わなかったりします。この問題は後のシグナでも再発します。
  • エリカは自身の立場を全く活用できない方法でパーディスに対抗しようとし、勝ち目皆無のパーディスとの一騎打ちでも「王女の立場を活かせる自分は逃げて生き延びるべき」という冷静な判断ができません。ただしパーディスの偏った教育による視野狭窄、そして後のアラウネとの対比だと思えば納得はできます。しかしそのアラウネも…。
  • アラウネの教会への告発は、仮に諸王会議の多数決で勝ったところで何の解決にもなりません(後述)。姉を救う策としてはあまりにも無意味です。エリカと同じ教育環境の影響はあったかもしれませんが、1人で解決しようと突っ走ったエリカと違いアラウネには相談できる大人がいたはずです。その点でエリカとアラウネを対比するならアラウネにも無策なムーブをさせるべきではないでしょう。
  • 「賢王」と呼ばれるソロンによる戦の描写はあまりにもお粗末。ストーリー回想で「賢王の采配」と名付けられた節の内容はただ挟み撃ちしただけです。ギャグですか?

見返して爆笑しちゃった

政治や国際関係の描写に違和感がある

国同士の戦争や外交という難しいテーマに手を出し、結果ありきで概念をつまみ食いした結果、政治や司法、国際関係の妥当性について違和感があります。

問題は第6章の諸王会議。ここまで武力が全ての戦国時代の世界観で物語を進めておきながら、「正義側の最後の望みを謀略で潰す」というシーンをやりたいがために国連のような多数決を入れます。パーディス側の勝ち展開ありきなので、ここでもしパーディスが多数決に負けたら、どのような理屈で事態は好転しエリカは助かるのか?ということは考えられていないように思います。

告発という行為自体、上から処罰できる強制力がないと意味をなさないものです。現実の現代社会は経済制裁から核兵器まで、国が国を潰せる力が飽和しきっているから国際会議による牽制がはたらくのであり、兵力と指輪とチート道化師を抱えるエドラスを上から処罰できる力は教会にはないように思います。そして不可侵条約を破ったことを他国が非難したところで、国内の問題であるエリカの処遇には無関係です。

今作の指輪を巡る物語はとても長く、パーディス編だけで8章もあるやや冗長な展開です。その長さの原因の1つが正義側の空振り行動による事態の悪化や停滞です。話の筋が似ている「2」のヒカリ編では仲間を引き入れる章を含めて5章と丁度良く終わった感がありますが、「0」のパーディス編は悪役の企み成功→悪役の企み成功→悪役の…と内容の薄い引き延ばし感があります。

言ってしまえば従来作でも政治や司法の設定は特になくて、パルテティオが不当契約を律儀に守ったり、オズバルドが地方を超えて冤罪逮捕→裁判→投獄されていますが、どの国家が制度を管理しているのかは謎です。しかしあくまで個人間の関係にフォーカスすることで、制度的な自己矛盾を引き起こしづらい構成になっています。オクトラはそれで良いんじゃないでしょうか。

富を授けし者(オスカ)

「ティツィアーノが生きているなら、ヘルミニア戦前のティツィアーノの姿や亡骸を埋葬したであろう墓は何だったんだ?」という説明を放棄するのが今作のスタイル。運営型サービスに物語を足していく上での後付けだろうし、「あの時見破れなかったバルジェロ達は馬鹿だった」みたいな展開にするよりはこれで良かったと思います。

暴力描写は相変わらずで、オスカは信徒を従えて金持ちを殺して回るわけですが、彼らが金持ちから虐げられてきた過去があることや、プレイヤーに悲劇性を押し付けるキャラの死や裏切りがなかった分、筋は通っているように見えました。何なら嫌な金持ちが殺されて若干スカッとしてしまう気持ちもあります。

大金で民衆の目を眩ませ、街から物資を絶って金の無意味さを突きつけるというオスカの謀略は、ベタですが「富」をテーマにした物語としては良いと思います(類似の寓話としてミダスの手などがありますね)。やや民衆が愚か過ぎる気もしますが、ヴァローレ住民が貧しさを経験してきたことや想定される教育レベルを考慮すると成立はすると思います。

本パートはまさにバルジェロファミリーのための物語であり、ラストバトルでメンバーが総動員してサポートしてくれる演出は見事。作者お気に入りの下ネタ乱発さえなければ、他パートのワンパターンな露悪から一段脱却した順当に良いパートだったのではないかと思います。指輪の物語の中で最も従来作の作風に近い感じがしました。

権力を授けし者(タトゥロック)

遠方からの残虐な侵略者から大陸を攻められ、過去にエドラスとの禍根があったグランポートと手を組んでこれを撃退する。これだけ見ればまさに王道なんですが…残念ながら暴力を見せつけし者はもう5人目なんですよね。もう死も露悪もとことん見飽きている。本当にもったいない。

タトゥロック編はこれまでにも増して、人体パーツを送りつけるなど「見せつけることが目的化した暴力」を多用します。これは物語の面白さに寄与しているのでしょうか。味の良さではなく唐辛子の量だけで人目を引こうとする激辛カップ麺になっていないでしょうか。後に彼女をなあなあで許すキャラ達の愚かさを増幅する効果しかないように思います。

そしてオルステラに危機が迫っているのに諸王会議はどうしたのでしょうか。パーディスの謀略成功シーンとして消化したのでもう忘れてしまったのでしょうか。つくづく国や政治を題材にするには練度不足です。

海戦場を船を操作して突破していくのはシンプルに楽しかったです。

名声を授けし者(セラフィナ)

そもそもこれ「名声を授けし者」なんですかね…?物語の継ぎ足しで対応が取れなくなっているのは仕方ないですが、それにしたって形骸化が過ぎるでしょう。リブラックと戦うくらいなら代わりにシメオンが出てきた方がまだ良かったのでは。

サザントスと教会と辺獄の話が描かれ、実質的に「全てを授けし者」の準備という感じのパートです。そう割り切れば悪くはないのですが、指輪持ちと対峙する物語としては薄いです。

セラフィナは裏切りポイントを無駄に消費しただけの存在というか…一応タイタス編の最初から出てるキャラですが、完全な脇役でキャラクター性の蓄積がないので「あのフィナが!?」感が皆無なんですよね。「2」で言えばタンジーがEXストーリーで豹変して襲いかかってくる感じ。裏切りってただ裏切れば面白いわけじゃなくて、オスカとバルジェロのように心情や人間関係を描いてこそだと思うのです。今回その問答ができる立場にいるのはリンユウですが、シチュー娘のキャラ付けのために毅然さを削がれた彼女には荷が重かったか。ユルゲンを押し黙らせた人とは別人ですか…?

序章の犯人当てゲームは、どうとでもこじつけられる情報量のなさで存在意義が分からず。運営型サービスでヒキを作り離脱を防ぐための仕組みと言えばそれまでですが…。私はタイガンを選びました。最終的にあの候補者の約半分が何かしらの裏切り者になるというのは、今作の裏切りの安売り感を象徴しています。

全てを授けし者(サザントス)

最終パート。ここも問題が多かった。ここまでの問題点の積み重ねで印象がマイナススタートだったという影響もあるでしょう。順番に見ていきます。

サザントスとシグナ

まずサザントスの裏切りについて。これ自体は振り返れば納得できるものでした。彼の恨みの原因がちゃんと描写されたこと、そしてプレイヤーが彼自身を操作して枢機卿団を殲滅していく体験があったのが良かった。枢機卿団の悪行への恨みとして人類全体を作り変えようとするのは飛躍がありますが、ラスボスならそれくらいの暴走は許容できます。

彼を再度仲間に加えるトゥルーエンド展開はあるものの、ガルデラが出てしまった以上は共闘するしかなく、倒した直後にエンディングとなるため、タトゥロックと違って変に馴れ合うシーンが(メインストーリーの中では)なかったのも良かったです。

ただしここまで裏切りと露悪の許容量をすっかり使い果たしているんですよね、この作品は。うんざりしているので比較的まともな裏切りを描いたとしても「またか…」と印象がマイナススタートになってしまう。量より質、もっと重要なところに絞って欲しいと思います。

また「欲を消し去る」と言っているわりに、サザントス本人とシグナがこれまでの指輪連中と同レベルの煽り口調なのも安っぽい。悪役ロールにスイッチ変わった途端これです。仮面もダサいし。最期までキャラを崩さなかったオボロの良さを再実感します。

そしてシグナはゴンスカと同様に、相変わらず万能テレポート能力を作者の都合の良いときだけ使います。それができるなら殺し放題だろ。

タトゥロックの安直な釈放

今作で最悪の展開と言っていいでしょう。

残虐行為を犯した悪役がなあなあで許される展開は私が最も嫌いなものの1つです。キャラが嫌いなのではなくライターの安直な判断が嫌いです。これはそもそも「悪役を許す」という展開に説得力を持たせる難易度が非常に高いため、物語の妥当性を重視する丁寧なライターはここに踏み込むことが少なく、「ライターの寵愛」「ガチャの都合」「ただの思いつき」など安直な作り手ほどこの展開を選んでしまうからだと思っています。

例えば「テイルズオブグレイセスf」のラムダは慎重に扱われた1つの成功例だと思います。

  • 彼自身の凄惨な経験を描く(ほとんどの作品はこれだけで正当化した気になっている)
  • 彼を消滅させない目的の1つに、プレイヤー側の仲間との対消滅を防ぐことがある
  • 協力後も適度な距離感を保ち、スキット等で安易に馴れ合わない

と、ここまで気を遣って初めてラムダとの共闘に納得感が生まれるのです。

今作のタトゥロックはこういった丁寧さを一切放棄し、リンユウとアラウネのお気持ちだけで釈放して同行を許し、ワンパターンな下ネタを喋らせてリシャールと馴れ合います。雲泥の差です。

これは謎の諸王会議と同じく、ライターが国の運営や司法制度、刑の執行の仕組み等を深く考えていない証拠でもあります。自らの暴力性を誇示したがっていたパーディス時代と異なり、新たなエドラスでアラウネ自身が執行人となることはないでしょう。苦痛少なく人道的に斬れる技術がアラウネにあるとも思えない。軍で粛々と執行してくれ。

もし「覇者」時代のガチャの都合で仕方なく生かしたというなら、まだ救いがあります。しかしライター本人が「アラウネというキャラクターの人となりをしっかりと描くことができた」と自信満々に語っているインタビューを発見して本当に失望しました。殺したらパーディスと同じと語っていますが、逆に人心を顧みない独断お気持ち執政はパーディスと同じですよ?この国すぐに治安崩壊しますよ?2年後に赤ん坊が王座に座らされてるのって革命の末の傀儡王ですか?

まさにやりたいシーン先行の操り人形。アラウネがとても愚かに見えますが、彼女こそライターの被害者です…。キャラを嫌いになるわけではない。

嘘のウィッシュベール

演出は良いものであり、あそこに父母や最初の住民だけがいれば心に刺さる場面だったと思います。そしてスティア、フェン、ローラナ(+ルド?)を照らすことで現実に戻るのであれば、復興ストーリーから終盤に直接繋がる良い展開だったでしょう。

しかしタイタスやヘルミニアがきれいなジャイアンみたいに安っぽい善人面をしているのは斜め下のギャグであり、気分を冷めさせるには十分でした。そしてストーリーに絡まない仲間達はウィッシュベール組と違って現実と嘘に大した落差がなく、ノイズだったと思います。

辺獄での死者との戦い

本当にワンパターンでした…まさに露悪が目的化したような、キャラを無意味に汚す描写です。物語の効果として嫌な気持ちになったのではなくシンプルに呆れました。

嘘のウィッシュベールでのわざとらしく漂白された悪役、辺獄でのわざとらしく露悪された死者。これらの問題はほぼ同じです。登場させないことがそのまま改善になります。

死者を出すなら4人の巫女のように主人公たちを導いてくれる存在として描いた方がよほど良かったのでは?

エピローグ(トゥルーエンド)

「あんな仰々しく旅に出る理由なくない…?」と思いました。何年も戻らないような旅をいきなり始める理由はないし、事件が解決した後に羽を伸ばす程度の旅であればこれまでの物語内とそんなに変わらないのであんな見送り方は大げさです。私が主人公視点で考えればそんな気分には絶対にならないし、第三者視点で考えても不自然です。

「2」のエピローグでは、生存しているキャラ達が1つの街に全員集合して賑やかに交流し合っていました。あれが本当に幸福感高くて好きなんですよね。「0」も住民や仲間1人ずつと会話できるものの、もっとキャラ達の賑やかさを見せて欲しかったな…と書いたところで、同じようなシーンが嘘のウィッシュベールで消費されていたことに気づきました。もったいない!あれをギャグシーンではなくフィナーレの感動に持ってきて欲しかった。

聖火を灯す者+復興の灯火(ウィッシュベール復興)

ここまで復讐と指輪の物語の問題点を指摘してきましたが、最後に復興の物語について。これは良かったですね。露悪や扱いの難しい題材がなかった分、それぞれのキャラの人間ドラマ描写がしっかり活きていたと思います。バジルとマーゴの話は王道的な人間ドラマでしたし、両親と離れてしまった少女リラを見つけた時には素直に良かったと思いました。スティアとフェンは最後まで戦闘メンバーで使うほど愛着がありました。

ローラナに関する章は少し気になります。ローラナが自責と恨みで感情を露わにするのも理解できるし、村人がローラナを責めるのもそれ自体は理解できる。ただし「聖火を灯す者」の最終章であり、あそこまで人が戻って皆が前を向いている状況だったことを考慮すると、あのシーンだけ不連続でライターによる作為的な人格スイッチを感じます。あれだけ責めたにしてはわだかまりが消えるのも早く、「もっと復興初期にローラナを登場させて一度排斥し、信頼を取り戻すきっかけを作った方が良かったな…」とは思います。

元も子もないことを言えば、あの立地にあるウィッシュベールは遅かれ早かれ指輪持ち3人の気まぐれで潰されていた気もします。どれだけ村外との情報交流があり、それぞれの縄張りで暴れていた3人の情報が村に入ってきていたか次第で、ローラナの軽率さの評価は変わるでしょう。

全体の設定や世界観

形骸化した悪役の名付けルール

「1」「2」では8人の主人公がいて、それぞれが8つのジョブを生業(ベースジョブ)としています。それぞれのジョブには対応する神が存在し、その名を冠する奥義を習得します。そして8人の頭文字を並べると OCTOPATH となる…というのが伝統要素です。

対して「0」では各パートで対峙する悪役側が並び順や対応関係を持ち、

  • 「富」「権力」「名声」あるいは「全て」を持つ者として各パートタイトルで呼ばれている
  • サザントスを除く7人は、持っていた指輪に対応する神の称号(狩王女など)を冠している
  • 8人の頭文字は(オルを付ければ)登場の逆順で OCTOPATH になる

というものになっています。ただし頭文字はともかく、3属性と神の称号は完全に形骸化しています。

各パート分析で触れたようにそもそも「富」「権力」「名声」が明確に分かれない概念であり、結局全員が何らかの権力者ムーブをしています。ヘルミニアとアーギュストは象徴的なキャラでしたが、運営型サービスに物語を付け足す中で対応が取れなくなり、対応を放棄したのが「名声を授けし者」です。

指輪に対応する神の称号はもっと酷く、「碩学王パーディス」はギャグです。雑に神の称号だけを使うのではなく、8ジョブや8神に悪役の設定をちゃんと合わせていけばもっと個性が出たのでは…?

「1」の世界との齟齬をプレイヤーに押し付ける姿勢

今作の舞台は「1」と同じオルステラで、同じ街、同じ用語、同じキャラが登場します。

この「0」と元になった「覇者」のインタビューでは、「1の前日譚」「1との整合性を保ったうえで繋がるよう作っている」という自信満々の発言が何度も見られます。そしてそれらのインタビューでお決まりのように二言目に言われているのは「しかし正史はなくプレイヤーの遊び方次第である」という言葉です。

「1主人公を0で仲間にしないことで何も経験をさせなければ、1との間で本人の経験上の齟齬は生じない」という非常に狭い点においては、この言い分は正しいでしょう。

しかし「0」「覇者」と「1」との間ではプレイヤーの選択に何の関係もない、ただゲーム側が提示しているだけの設定が勝手に自己矛盾しています。一部を除く街がすっかり入れ替わってしまっていること、産まれて2年足らずのエルマンが王になっていること、そしてあれだけ大陸中を荒らした数々の騒乱の記憶を全員が忘れていること。私は以前の記事でパラレルワールドという言葉を使いましたが、ちゃんと構築されたパラレルワールド作品は「クロノ・クロス」のように特定の出来事をきっかけとして世界が分岐していくので、フワっとした設定や人名だけを共通させている今作には当てはまらない言葉とも言えます。

前日譚を後に制作しているため、確かに整合性を取るのは難しいです。ゲーム内時系列で僅か3年というインターバルがあまりにも短すぎる。数十年~百年程度の間を空けたほうが矛盾を避けやすいのでしょうが、運営型ゲームとして前作キャラを出すために近い年代にせざるを得なかったのでしょう。もしこのような事情をインタビューで正直に語っていれば、作品間の整合性は崩れていても構わないとも思います。

真に残念なのは「整合性を取っている」と自信満々に発言していること、そして言い訳のように齟齬をプレイヤーの解釈次第と逃げていることです。「覇者」に関するプロデューサーやライターのインタビューも複数読みましたが、物語の整合性や作品間の関係について問われた時の返答に誠実さがありません。これは恐ろしいことです。

作り手が最初からやろうともしていないことをインタビューで自信満々に言うのは、オクトラ以外の他シリーズでも経験しました。はっきり言ってこれはプレイヤーを騙す行為だと思います。そして問題を正しく省みることが出来ていないということは、「オクトラ3」などの今後の作品でも同じことが起こる可能性が高いということ。それならばプレイヤーとしては問題点を強く主張するしかありません。

総括

ここまでの内容をまとめ、良いと思った点を挙げます。

  • スポット的な演出、特にヘルミニア・アーギュスト・オスカの最期の描写は良かった。
  • ウィッシュベール復興組やバルジェロファミリーなど見ていて楽しい人間関係や、彼らが中心となって引き起こされる人間ドラマは良かった。
  • ラスボスの行動原理は明確に描くことができていて、プレイヤーに彼を操作させることで追体験できる仕組みも良かった。最終的に彼を許し共闘するルートもあるが、ガルデラによって共闘の必然性を作り、彼と馴れ合うシーンをストーリー自体に盛り込まない点は良かった。

そして悪いと思った点を挙げます。

  • ほぼ全員の悪役の描写がワンパターンな暴力性の披露から始まるので、金や芸術性などの個性が薄れてしまう。
  • キャラの死亡と裏切りを高頻度で繰り返すため、1つ1つの衝撃や思い入れが薄くなり「はいはいまたか」という印象になってしまう。
  • 正義側を劣勢に追い込む手段に納得感がなく、悪役がチート級能力を都合よく使用するか、正義側の行動がそもそも解決手段として空振りである。
  • 政治や国際関係の設計が非常に甘く、正義側の為政者までもが個人の感情論の延長で国や世界を運営しているため、このような題材を選ぶ意味を感じない。
  • 納得感よりもライターのやりたい展開を優先した結果、そのシーンを演じさせられているキャラ達が不必要に愚かな人物、あるいは人間性を失った操り人形に見えてしまう。
  • 整合性や納得感を大幅に欠いた描写に対する作り手のインタビュー発言が自信満々であり、このままでは今後の作品での改善を期待できない。

物語全体を通した時の継ぎ足し感やズレは運営型サービス由来である以上仕方なかったと思うので、1つ1つの展開の納得感をもっと上げて「このキャラ達に協力したい」と思わせて欲しかったです。

私はインタビュー等でしか内部事情を知らないただの1人のプレイヤーです。その立場で勝手なことを書くなら、やはり物語の整合性を指摘し改善できるロジカルなレビュワーと協業していただくか、国や政治ではなくキャラクターの個性をしっかり描く得意分野に注力していただくことで、「1」「2」では発揮されていた持ち味を活かしていただきたいと思っています。

これまでのRPGで、死の衝撃が今でも語り継がれているキャラはたくさんいますよね。それこそスクウェアやエニックスの作品にもたくさん。その作品は序盤から終盤まで死を"安売り"していましたか?RPGを作り続けてきた企業で、特に温故知新を精力的に続けているシリーズだからこそ、安易な刺激物に逃げずに今一度過去の名作の物語を振り返っていただきたいと切に思います。今後ともオクトラシリーズを応援しています。