Ultimate Rondo

アトリエシリーズとゲーム音楽とその他いろいろ

「聖剣伝説 Legend of Mana - The Teardrop Crystal -」最終話DC版を受けて今後への期待

「聖剣伝説 Legend of Mana - The Teardrop Crystal -」は、ゲーム「聖剣伝説Legend of Mana」のメインシナリオの1つである宝石泥棒編を元に作られたアニメ作品です。テレビ等での本放送は12月に終了し、このブログでも感想記事を書きました。

「聖剣伝説 Legend of Mana - The Teardrop Crystal -」を観終わっての感想 - Ultimate Rondo

その後、公式なアナウンスとしては "新型コロナウイルスの影響を受けた最終話を、監督が本来意図していた映像へと修正" したものであるディレクターズカット版(DC版)が制作され、先日配信されました。

私は少し反応を待って観るかどうか決めようと思っていたのですが、映像面の品質向上や原作の珠魅たちのシーンの復活など多くの改善が加えられていて、本放送版に比べるとかなり好評なようです。追加制作に携わったスタッフの方々お疲れ様でした。

原作に忠実な場面の映像や演出は元々素晴らしい作品だと思っているので、その点が最終話でも強化されたことは喜ばしいです。しかしストーリーの本筋に変更はなく、セラフィナを不自然に持ち上げたことによって歪められた珠魅の物語、という私の感想は変わっていません。にも関わらずこの記事を書いている理由は、ラルクとエスカデの登場により原作の他メインシナリオ、続編の可能性が僅かにでも匂わされたからです。

この1作だけであれば過ぎたこと。しかしまたアニメ等の制作があるのであれば、こうなってほしい・これはやめてほしい、という気持ちは強くあります。改めて今思っていることと今後への期待を記そうと思います。

※本記事は聖剣伝説LoM原作のエスカデ編のネタバレを含みます。

監督の意図とは

DC版は「監督が本来意図していた映像へと修正」したものと称されています。これを信じるのであれば、

  • DC版でも維持されたストーリー改変は外部要因でなく監督の意図によるものである
  • 本放送版の制作が厳しくなった際に、DC版で追加された原作の珠魅たちのシーンよりもセラフィナのアニオリ要素のほうが優先された

ということが改めて確認されました。槍の串刺しもセラフィナの「ただいま」も監督がやりたくてやったことだし、これらは原作で主人公と珠魅たちの絆を描く「みんな…少しずつでいいから、命をくれないか…」のシーンよりも大事だったということです。

DC版を「監督が本来意図していた映像」と称するのであれば、逆に本放送版を原作に忠実に作ってDC版で好きなことをやってほしかったんですけどね。

セラフィナとシャイロの変わらない不自然さ

セラフィナの信念を示すセリフが追加されたことは良かったと思います。そして本放送版で珠魅殺しのセラフィナが被害者である珠魅たちからおこぼれ復活させてもらったことと比較して、サンドラがセラフィナのために涙を流したのであれば筋は通っているでしょう。

しかし殺そうとした相手と2人揃って他人の家に「ただいま」するのは相変わらず不自然です。もしセラフィナをシャイロと異なる正義を持つ主人公として描くならば、シャイロと最後まで対立し続け、サンドラのために泣き、サンドラの涙石によって復活し、姿を消したサンドラのもとへ帰る、その方がシャイロと(そして原作の主人公と)明確に異なる道を歩んだことが強調されるでしょう。言うなればマルチエンディングです。

アニメのセラフィナの結末は、虐殺ルートを進んでいたのに何故かトゥルーエンドに来たかのような違和感があります。「セラフィナはもう1人の主人公で、LoMの主人公はプレイヤー自身だから、こうあるべきという正解はないしどう描いても良いのだ」というセラフィナの正当化に私が納得しない最大の理由がこれです。原作と異なる展開を描く自由度は認めた上で、ただシンプルにアニメの物語が不自然で、完成度が低く、結末が強引すぎるのです。

そして2度裏切られても槍を刺されてもセラフィナを許しちゃうシャイロの盲目さを「優しい」「懐が広い」と正当化することにも納得しません。深い繋がりも信用できる根拠もないセラフィナを許すほど底抜けに優しいのであれば、サンドラに対する序盤からの強い敵意は何なのかと。珠魅を殺したことは同じ。そして手段は友人として近付きエメロードを殺害したセラフィナのほうが余程狡猾です。これでサンドラは許せない、セラフィナは信用しちゃう、無理がありませんか?

結局、「セラフィナを全肯定してハッピーエンドに参加させてあげる」という結果ありきの構成によって、ストーリーは歪み、シャイロは監督のセラフィナ擁護に利用され、展開に無理が生じている点は変わりません。独自改変を好意的に見ている方や、違和感を持ちつつも理由を持たせて納得している方の気持ちも理解できますが、私には納得できませんでした。

追記:制作スタッフコメントを受けて

制作スタッフコメント | アニメ『聖剣伝説 Legend of Mana-The Teardrop Crystal-』公式サイト

監督のコメントを引用します。

  • 今回は二人の主人公シャイロとセラフィナ。二人の性格、設定を作っていくのが私達の大きな課題でしたし、そこに注力して構成しています。
  • 言葉や行動だけでなくキャラクター達の「思い」に注目して欲しいです。

これを受けての私の感想です。

セラフィナを原作に存在しない2人目の主人公として据えるのであれば、その性格と設定を作ることは確かに大きな課題であり、まさにこの課題に向き合わなかった結果が今作だと思います。設定を盛られた完全なオリキャラが原作ストーリーを散々歪めておいて最後だけ原作の名シーンに合流する、それは2人目の主人公とは呼ばないでしょう。ストーリーの構成ではなく、やりたいシーンを論理関係を無視して並べただけです。

そして、いくら監督の頭の中でキャラクター達の「思い」があったとしても、それをアニメ中の言葉や行動として描写しなければ伝わらないでしょう。私は最終話DC版以外では無感情な裏切り殺戮者としか描かれなかったセラフィナから「思い」を感じることはできませんでした。最終話DC版では感情を吐露し、ここで初めてセラフィナの「思い」は表現されたと思いきや、「本当は嫌だった」の掌返しで結局否定されます。やりたいシーンを押し通すために都合の良いことを喋らせるのはキャラクターの「思い」ではありません。

全てが監督の頭の中で自己完結し、まさに「言葉や行動」に落とし込むことを放棄した結果が今作だと思います。監督・シリーズ構成・脚本を兼任しておきながら「言葉や行動だけでなく」と言ってしまう監督の言葉は、致命的な説明不足の言い訳あるいは自己正当化に見えます。

実際アニメを好意的に観ている人の感想には、ストーリーが破綻している箇所に対して、アニメで一切描写されていないことを「こういう心情背景や、キャラ同士の描かれていないやりとりがあったのだろう」と好意的に(半ば無理矢理に)補完しているものがありました。それをさせている時点で脚本としては失敗でしょう。

今後の展開への期待

そもそもラルクとエスカデの登場シーンは、ただの原作ファンへのサービスであるという可能性もあります。しかし公式Twitterアカウントの書き方も今後の何らかの可能性を匂わせるものであり、僅かな可能性ではあるものの無視はできません。以降の記述は、もし今後エスカデ編・ドラゴンキラー編のアニメが制作されるのであればという仮定の話です。

個人としてできることは微力ですが、原作の権利を持つスクウェア・エニックス社には、今後もしアニメ制作の機会があるのであれば

  • 今回のストーリー改変に携わった方を制作から外していただくこと
  • ストーリー等の改変に対して、厳しく監修していただくこと

をご検討ください、という意見を送りました。私が感じた今回のアニメの問題点も短く添えました。

今回のアニメで受けたダメージがまだ残っている今言うのであれば、私の期待は

原作のキャラクター・セリフ・場面をとにかく大事に、尊重して作ってください

の1点に尽きます。そして今回の設定を持ったシャイロとセラフィナではない、新しい主人公で描いて欲しいと思います。

特に不安なのがエスカデ編、これは4人の幼馴染たちのすれ違いと対立を描く物語です。幼馴染同士が殺し合う上に結末でも救われない。主人公は選択を迫られ、誰かに協力し誰かの殺害に加担することになる。宝石泥棒編よりも後味の悪い、だからこそ独特の魅力があるストーリーです。

私はエスカデ編の4人の考え方について、誰も絶対の正解ではないし誰も間違っていないと思っています(アーウィンの「行動」は世界の脅威であり咎められるべきですが)。しかし自我を抑えられない人物がストーリー改変の権限を持った場合、「主人公が誰に協力するか選ぶ」という原作ストーリーに便乗してキャラの偏重と軽視がいくらでもできてしまいます。お気に入りキャラを主人公や他のキャラに全肯定させて絶対正義にできてしまうのです。

例えば監督がダナエを溺愛している場合、主人公がダナエを全肯定し、エスカデを全否定した上で殺害するようなストーリーが作れてしまいます。流石にそんな極端なキャラ偏重はしないだろうと、今作の宝石泥棒編を観る前なら私はそう思うでしょう。今では十分やりかねないと思います。

宝石泥棒編でさえ絶対正義キャラ作成の自我を抑えられなかった人が、エスカデ編で4人全てを尊重し描き切れるでしょうか?私は無理だと思います。

原作を尊重した良い映像化になるのであれば期待したい反面、不安は非常に大きく。適切な人選と制作体制、そしてスクエニの監修に頑張ってほしいところです。

おわりに

今回の記事は以上です。DC版は一般配信されたら、珠魅たちの良いシーンなどをかいつまんで観てみようと思います。槍の串刺しとセラフィナの「ただいま」を観るのは1回だけで十分です。